「サクラ咲け」

 東京では本日、桜が満開になったそうだ。桜の開花情報は、関東のどこかにある一本のソメイヨシノが基準になっているという話をどこかで聞いた。春は温かくて気持ちがいいから好きだ。しかし、この季節になる度に憂鬱に感じることがある。

 どうしても「サクラ咲け」という言葉が好きになれない。大嫌いである。誤解しないで欲しいのは、俺が人の幸運(この場合は志望校合格)を呪い、他人の不幸を喜んでいるわけではないということだ。「サクラ咲け」に込められた祈りや願いそのものは尊い。しかし、「サクラ咲け」という字面、言い回しは心から憎んでいる。せっかく美しい気持ちを、なぜそんなきったない器に入れてしまうのだ、という怒りの気持ちさえ湧いてくる。

 最も鼻につくのが、どうしてわざわざ桜をカナ表記にするのかという点である。「サクラ」を見ると時代遅れのセンスの無さが伝わってきて、辟易する。たまに「サクラ咲ケ」などという場合もあるが、そこまで行くともはや、どこで買ったのかわからないひどい臭いの香水を纏った、婦人会の仲間内で見栄を張ることだけが生きがいの、文化のかけらも無いばばあが脳裏に浮かぶ。羅生門の追いはぎ婆の方がまだ風情があるではないか。自分の力で必死に生きる美しさがある。

 とにかくもう勘弁してほしい。こっちまで恥ずかしい気持ちになる。幸い、俺が受験の時にその言葉をかけられたことは無かったが、もし試験当日の朝にその言葉をかけられていたらと思うとぞっとする。放送禁止用語になればいいのに、と思う。TVで誰かが「サクラ咲け」と言ったら、周りの人間が、うわ、こいつ言っちまった、と冷ややかな雰囲気になって、後で司会が「さきほど不適切な表現がありましたが、、、」と謝罪してほしい。

 最後に、桜だろうがサクラだろうがどっちでもいいだろ、なんにでもいちゃもんつけるのやめろよ、お前みたいなのがTVをつまらなくするんだよ、という人は、上地雄輔の芸名、「神児遊助」っていうんだけど、これを見ても何も思わないのだろうか。

 神の子って名乗っていいのは、イエス・キリスト山本KIDだけじゃないの?